以前所属しておりました設計事務所の会長 橋本文隆が去る4月26日に逝去致しました。71歳でした。
私は大学院を卒業した後から独立するまでの9年間、計画・環境建築という設計事務所に所属しておりました。そこは木島安史、橋本文隆という当時の日本建築界をリードする建築家のアトリエ事務所でした。
学生の頃は雲の上の存在である彼らに近付きたく、作風が好きでもないその事務所を何度か興味本位でアルバイトに訪れました。普段はスタッフ同士、中の良いほのぼのとした事務所でしたが、彼らが外出先から戻るとその雰囲気は一転し、まるで嵐の到来のように、木島さんの怒鳴り声と橋本さんの豪快な笑い声が事務所全体に響き渡っていました。そんな彼らとの出会いは建築家を夢見ていた私にとって衝撃であり、「凄い人たちだなぁ」と、男が男に惚れた瞬間でした。
その後、彼らに面接して頂き、めでたく入所。4月1日、滅多に着ないブレザーにネクタイ姿で出社し、橋本さんに連れられ、先輩スタッフ数人と昼食に中華を食べに行き、木島さんが入院されていることを知らされました。何と同月27日、死去となってしまいました。29日通夜の後、橋本さんを家まで送り届けるため、世田谷の家まで車を走らせましたが、その間ずっと無言でうつむきながら、私の腕を家に付まで強く握りしめたままでした。その感触は今でも残っています。
19年経ち、木島さんと全く同じ4月29日(通夜)、30日(告別式)という偶然と一言で片づけられない絶妙なタイミングでこの世を去る橋本さんは、木島さんと共に過ごした時間がどれだけ大切なものだったかを自分の命をかけて教えて下さったような気がします。
私の自信のなさから、独立した後の作品に対しての評価をちゃんと伺う事が出来ないまま、今度は本当に雲の上に行ってしまったことが悔い残りですが、今後は橋本さんの建築に対する意思と情熱を少しでも継いで行けるよう、頑張ってまいりたいと思っております。
橋本さんは最後まで私にとって、「凄い人」でした。
ありがとうございました。